コラムNo.6 この観光不況はいつまで続くのか(その2)(前田 豪)
コラムNo.6 この観光不況はいつまで続くのか(その2)
~志高く「百年の計」で、自分達の手でふるさとの「玉」を磨き、醜悪な「石」を無くしていこう!~
株式会社リージョナルプランニング代表 前田 豪(アドバイザリーボードメンバー)
次の観光隆盛期は、現在我が国民の一人あたりの年間旅行宿泊数が、米国・英国・フランス・ドイツの3分の1、4分の1という少なさ(!!)であること(リージョナル プランニング調査)を勘案すると、相当大きく伸びる可能性を持っている。しかし、お客さんの目は益々肥え、競争相手は海外まで拡がっていることを考えると、如何にわがふるさとならではの「素顔;本来の魅力」を、「自らの手」で、「世界標準」まで磨き上げるか、が大きな課題だと考えている。
■“素顔の魅力”を世界が評価
この要件を充たしているのは、花見山だけではない。24軒の旅館が協働して相互のお風呂が入れるようにし、かつ周囲の人工林を広葉樹に変え、そぞろ歩きを楽しめるようにして、由布院に匹敵する人気温泉地になった熊本県黒川温泉。約50町歩の山林の竹林を、妙見温泉雅叙園の亭主田島健夫さんが「更に上質の宿づくり」を目指して1人で切り払い、道をつけ、電線や配湯のパイプを埋設して、15年掛けて3棟の宿泊棟と2棟の日帰りお休み処を建て、ヘリコプターで視察に来た外国人に「売りませんか」と言わしめた、鹿児島県霧島温泉の“手づくりラグジュアリーホテル”「天空の森」。
昭和48年をピークに、現在はその4分の1にまで観光客が減少した東京都大島の中で、「椿花ガーデン・リス村」が健闘しているのも、山下隆さんが家族の力で約千本の椿の花を手塩に掛けて育て、伊豆半島が眺められる“他に何もない”広い芝生広場を造り上げてきたからに他ならない。まだ減少が止まらない大島の中で、リーマンショックに影響されることなく、2009年は2割近くの利用者増、売り上げに至っては3割近くの増加というからすごい。花見山同様、お客さんはよく見ているとつくづく思う。
■時が創るかけがえのない価値
「新規に造るところはいいけれど、既存観光地の再生はなかなか大変」という声を聞く。一面は真理を突いているが、年輪の持つ大切さ・有り難さを“見喪った”者の言い訳だ。例えばである。昨年第60回を迎えた奈良正倉院展において展示されている“御物”のいくつかは、長い時間が創ったものなのだ。
今回の目玉の一つであるペルシャから伝わってきたガラスの器は、本家のペルシャにはもう存在しないという。現在ペルシャにある器は近年になって地中から発掘したもので、地中に埋まったまま1300年ぐらい経つとガラスは透明ではなくなり、陶器のようになってしまうそうだ。「貂のミイラ」なども、時間の長さが“御物”にしたと言えよう。時間の長さは取り戻したくても取り戻せないし、かけがいのないものなのだ。
■地域磨きは“足元”から
歴史の長い観光地も同様で、それだけでも得難い魅力になりうるものなのだ。京都がその象徴だろう。 既存観光地は年輪と して培われてきた良さをしっかり再評価しつつ丁寧に磨き上げる一方で、“マイナス点”を見分け、時間を掛けてそれを除いていくしかない。その意味で、京都も現在のところ“玉石混合”だ。日本を代表する観光都市だが、“世界の観光都市”とは言い難い。「玉」は世界遺産に登録されている寺院群である。本当にすごいと思う。
昨年(2008年)訪れた日が10月28日で、利休の祥月命日であるところから至る処で茶会が開かれていた。三々五々10月に ふさわしい着物を着た女性が談笑しながら茶席に集ってくる様(右写真上)は、まさに観光(光を観(しめ)す)だと思う。「いいでしょ!、この町。いい仲間で
しょ!、みんなお茶が好き!、京都が好き!」、そんな想いが伝わってくる。そんな光景を楽しむのが、観光(光を観(み)る)なのだ。そんな「玉」の中にも、“ひび割れ(?)”している所があるのも事実だ。信長のお墓がある大徳寺のガイドさんは、どういう訳か皆足下は安げなサンダルなのである(右写真下)。私は言いたい、「あなたたちの佇まいも京都の景色の一つなのです」。
■古都を磨く-京都景観条例の挑戦
小生が考えるに、「石」の代表は京都駅だろう。何で日本を象徴する千年都市京都に、こんなぴかぴかの巨大な建物を造ったのだろうかとため息が出る。東大教授の設計であるから、彼の感性・価値観を受け継いだ学生が増殖され、卒業後に同様な建物を手がけるであろうことを想像すると、ため息がリフレインされる。京都タワーとセットになった景色(右の写真)を見ると、いっそ石川五右衛門の“活躍(?)”を見ているように、“小気味好い”とも言える(やけくそ的ですが…)。壊す時に躊躇が全くないし、かえって嬉しいぐらいだから。
その意味で2007年制定された京都の景観条例は、快挙だ。「ゆくゆくは市内の各通りから五山の送り火が見えるようにしよう」というコンセプトも分かりやすく、素晴らしい。高さ制限を超えている今ある建物は、いずれ建て替えざるを得ない時が来る。京都駅や京都タワーも同様だ。まさに百年の計だが、なんとも楽しみだ。クリントン大統領が、訪米された天皇陛下ご夫妻を歓迎するスピーチで引用した「たのしみは昨日まで無かりし花のきょう咲く見るとき」の作者橘(たちばな)曙覧(あけみ)風に言えば、「たのしみは今ある見苦しい建物が無くなった通りから五山の送り火見るとき」。大部字余りですが…。
■厚化粧を落として素顔の地域に
京都にはまだまだ取り除くべき「石」は多いが、既存観光地でも時間を掛けて「石」を取り除いていき、その土地ならではの「玉」を、自分達の手で丁寧に磨いていくことが再興の鍵だ。再興に逆転満塁ホームランはない。減少、もしくは悪化し続けてきた時間に比例して、再興には時間が掛かるのだ。
“百年に一度”の大不況ゆえに、またぞろ大規模な公共事業を期待する向きがあり、「地 方の窮状は目も当てられない」と言うのならば、“引き算型の公共事業”を提案したい。その一つは電柱の撤去だ。
円高の今、電力会社の協力を得てすぐにも取り組みたいものだ。公共団体が設置した古い大形看板も撤去すると随分すっきりする。公共下水を充実して、河川の水質を奇麗にするのも有効だ。デトックスである。河川で言えば、殆ど使われていない“親水護岸”を撤去して自然護岸に戻すのも有効だろう。必要性に疑問符が付くような、過度のコンクリートで造られたふるさと砂防事業などもそうだし、海岸のテトラポットも同様だ。“厚化粧”を止めて素顔を取り戻すわけである。そして過度の公共依存心も撤去したい。「自らのふるさとは、自らの力で、時間を掛けて磨く」という自助努力の伝統を呼び起こしたい。やろうと思えば何処でも出来るし、そのほうが人の心を打つことを花見山が教えてくれている。
■地域の自然な「表情」を磨く
「玉」のほうは、目をこらせば無尽蔵だ。花見山に限らず、一生懸命仕事に励み、後継者のいる農地は実に美しい。美瑛町のハーブ畑は、なんとも見事だ。構造改善事業がなされる前の棚田なども、感動的だ。天空の森の以前の風景は、何の変哲もない里山だったのだ。大島はもともと「富士を見るなら大島へおじゃれ。田子や竜華の比ではない(東洋大学創始者井上円了)」と言われた“好眺望地”であり、島内にあっては約300万本の椿があり、至るところに他では見ることの出来ない、素晴らしい椿トンネルがあるのだ。今、ここに注目し、山下さんなどが観光客を巻き込んで「ツバキ花数え運動」を始めている。
人間国宝の狂言師茂山千作さん89歳は言う。「能や狂言では、面をつける役でも私のような年になりますと素顔で演じます。4歳で初舞台。(中略)外面の型だけでは決してうまくゆきません。内面の気持ちが伴わなければ表情は出せないのです。だから何遍も稽古を重ねる。すると自然に自分にあった表情が出てくる(『読売新聞』2009/04/17)」。学童のふるさと教育・観光教育の充実が望まれる。
■地域づくりに「大志」と「感性」を
「天の時」とは、孫子の兵法の第一編、つまり最初に出てくる言葉である。正確には、以下のとおりだ。「兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざるべからず。故にこれを経(おさむ)るに五時をもってし、これを校(くら)ぶるに計をもってして、その情を索(なわな)む。一に曰く『道』、二に曰く『天』、三に曰く『地』、四に曰く『将』、五に曰く『法』なり」。よく言われる「天の時」「地の利」「人の和」の「人の和」は、道;道徳、または戦の大義名分、将;将師の能力、法;軍政、または国家を統治する法律をまとめたものだ。
いずれにしろ最初に『道』があることが要諦だ。観光地域のリーダーにしろ、宿泊施設の主にしろ、はたまたそれをお手伝いするお役人やコンサルタント、建築家等は、世界からお客さんを迎えるのに相応しい観光地域・観光施設を創る大義・大志と上質な感性を身に付けることが必要なのだ。いわんや国のリーダーとなれば、言うまでもない。自戒したい。
<プロフィール>
前田 豪 株式会社リージョナルプランニング 代表 東京都出身。東京大学農学部林学科卒業・同大学院修士課程卒業・同博士課程中退。農学博士。㈱リージョナルプランニング代表として、全国の観光・リゾート・地域計画のほか、市町村におけるまちづくりやまちおこし事業を多数手がけている。